簡(jiǎn)介:
小檔案
第1期(1981年 - 1988年)、第5期(2000年 - 2008年)
二井原実:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作曲
山下昌良:ベース
樋口宗孝:ドラム、リーダー
第2期(1989年 - 1992年 更多>
小檔案
第1期(1981年 - 1988年)、第5期(2000年 - 2008年)
二井原実:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作曲
山下昌良:ベース
樋口宗孝:ドラム、リーダー
第2期(1989年 - 1992年)
マイク?ヴェセーラ:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作詞、作曲
山下昌良:ベース
樋口宗孝:ドラム、リーダー
第3期(1992年 - 1993年)
山田雅樹:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作曲、プロデュース
沢田泰司:ベース
樋口宗孝:ドラム、リーダー
第4期(1994年 - 2000年)
山田雅樹:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作曲、リーダー、プロデュース
柴田直人:ベース
本間大嗣:ドラム
第6期(2009年 - )
二井原実:ボーカル、作詞
高崎晃:ギター、作曲、リーダー
山下昌良:ベース、作曲
鈴木政行:ドラム
小簡(jiǎn)介
主に作曲はギターの高崎が手がけ、歌詞はその時(shí)々のボーカルがつけていた(レコーディング途中で二井原が脫退したアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』ではメンバー全員が「LOUDNESS」名義で作詞をした)。第1期~第2期?第5期では極稀に山下も作曲するが、近年ではメンバー全員(「LOUDNESS」名義)で作曲をすることが多くなった。第3期には脫退している山下が1曲提供している。歌詞は現(xiàn)在のボーカルである二井原と高崎がそれぞれ書いている。
LOUDNESSのサウンドは高崎の趣向がとても強(qiáng)く、第1期-第3期までは、王道のヘヴィメタル?ハードロックであったが、高崎が"悟り"を開いた第4期以降は、民族音楽を取り入れギターソロも即興性の高いものになっていった。しかしそれはファンの望んでいるサウンドとは程遠(yuǎn)く、第5期以降も本來のヘヴィメタルから、サウンドが民族音楽風(fēng)のロックに戻ってしまう事があり、こういった高崎のファンに理解しがたい音楽性は俗に「インド病」とファンの間で呼ばれている。
第3期までのリーダーは樋口なのだが、事実上は作曲をしてバンドサウンドを支えた高崎がリーダーであるといえる。
バンド名の由來はステレオのアンプに書いてあるLOUDNESSと言う文字。
by Ed Rivadavia
By the time they were introduced to the West by 1985s Thunder in the East album, Japans Loudness had arguably already hit their peak. Their previous effort, Disillusion, was the fourth chart-topping release in their homeland, not to mention a critical triumph among members of the European press. But when faced with a contingency plan to conquer America, Loudness were gradually forced to alter their sound by unsuitable producers and clueless record company hacks, never coming close to translating their far-East success into Western stardom.
Guitarist Akira Takasaki and drummer Munetaka Higuchi first played together during the mid-70s in a mainstream rock band called Lazy. Unhappy with the bands direction, the duo split and decided to follow in the footsteps of Bow Wow (the first ever Japanese heavy metal band), forming Loudness with vocalist Minoru Niihara and bass player Masayoshi Yamashita. Combining a classic metal approach with
Takasakis Eddie Van Halen-inspired guitar heroics, the band immediately scored local success with their first three albums, which were sung entirely in Japanese. But it wasnt until the release of their first live album, Live-Loud-Alive, and fourth studio effort Disillusion that the group attracted any significant attention outside their homeland, eventually issuing an English version of Disillusion.
Atlantic Records soon came calling and the bands international career began in earnest with 1985s Thunder in the East, which sold quite well in the U.S. for its novelty value, giving the band false hopes about their acceptance by Western metal audiences. Subsequent efforts, Lightning Strikes and Hurricane Eyes, were made to order records geared for the American market, and saw the band slowly drifting away from their roots towards a more commercial, pop-metal sound. All to no avail, and after recording 1988s independently-released Jealousy, the classic lineups glory years came to an end with the firing of Niihara and the arrival of American-born singer Mike Vescera for 1989s Soldier of Fortune. 1991s disappointing On the Prowl saw them resort to re-recording watered down versions of some of their Japan-only material and would be the last to feature Vescera, who briefly joined the temperamental Yngwie J. Malmsteens band.
Yamada Masaki, from rival Japanese metal band EZO, was brought in for Loudness 1992 self-titled effort, 1994s Heavy Metal Hippies, and 1997s Ghetto Machine. The latter saw the departure of the bands long-time rhythm section being replaced by bassist Shibata Naoto and drummer Homma Hirotsugu. This lineup recorded two more albums, 1998s Dragon and 1999s Engine, after which it has been rumored that Takasaki welcomed back the original members for an as yet unconfirmed reunion.
大事件
1981年
5月、當(dāng)時(shí)レイジーに在籍していたギターの高崎晃とドラムの樋口宗孝、ベースの田中宏幸が、新バンド結(jié)成を決意。オーディションによって選ばれた二井原実を迎え、高崎晃ソロプロジェクトとして始動(dòng)。しかし、田中は音楽性の違いから離脫。 新たに山下昌良をベースに迎えLOUDNESS結(jié)成。[1](第1期LOUDNESS)。
11月25日、日本コロムビアより、1stアルバム『THE BIRTHDAY EVE ?誕生前夜?』でデビュー。
12月17日、淺草國(guó)際劇場(chǎng)にでデビューコンサートを行う。
1982年
7月21日、2ndアルバム『DEVIL SOLDIER ?戦慄の奇蹟?』をリリース。
1983年
1月、3rdアルバム『THE LAW OF DEVIL'S LAND ?魔界典章?』をリリース。
7月9日、バンド初の海外ツアーの為、渡米。同月26日に帰國(guó)。
8月15日、アメリカツアーに続き、ヨーロッパツアーと次回作レコーディングの為、渡歐。翌月20日帰國(guó)。
11月、1stライブアルバム『LIVE-LOUD-ALIVE LOUDNESS IN TOKYO』をリリース。
1984年
1月、4thアルバム『DISILLUSION ?撃剣霊化?』をリリース。
4月、バンド二度目のヨーロッパツアー。このときの模様は8月にライブビデオ『EUROBOUNS』としてリリースされた。
5月、アメリカのレーベルアトランティック?レコードと契約を結(jié)ぶ。
7月、『DISILLUSION ?撃剣霊化?』の英語(yǔ)版アルバム『DISILLUSION English Version』リリース。
12月、シングル『CRAZY NIGHT』をリリース。スマッシュヒットする。
1985年
1月21日、5thアルバム『THUNDER IN THE EAST』をリリース。シングル『CRAZY NIGHT』のヒットもあり、アメリカのビルボードアルバムチャート74位(日本においては、ヒットチャート4位)を記録する。日本のロックバンドにおいて、ビルボード100位圏內(nèi)に入ったのは初めてであった(ソロアーティストでは唯一坂本九が1位という快挙を果たしている)。
8月、モトリー?クルーのサポートとしてアメリカツアーを行う。
8月14日、日本人アーティストとして初めて、ロックの殿堂マディソン?スクエア?ガーデンのステージに立つ。
1986年
レーベルを日本コロムビアからワーナーミュージック?ジャパンに移籍。
3月24日、6thアルバム『SHADOWS OF WAR』をリリース。
シンデレラ、ポイズン、AC/DCらとアメリカツアーを、ヨーロッパでもツアーを敢行させ、日本武道館でのライブも実現(xiàn)させる。
7月、『SHADOWS OF WAR』のアメリカ向けリミックスアルバム『LIGHTNING STRIKES』をリリース。ビルボード?アルバム?チャートで64位を記録。
11月、2ndライブアルバム『8186 LIVE』をリリース。
1987年
8月、7thアルバム『HURRICANE EYES』をリリース。ビルボード?アルバム?チャートで190位を記録する。
12月10日、『HURRICANE EYES』の日本語(yǔ)版アルバム『HURRICANE EYES Japanese Version』をリリース。
1988年
5月25日、1stミニアルバム『JEALOUSY』をリリース。
12月、二井原が脫退。
1989年
9月、ボーカルにアメリカ人のマイク?ヴェセーラが加入(第2期LOUDNESS)。
9月17日、8thアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』をリリース。
『SOLDIER OF FORTUNE』のシングルカット、『YOU SHOOK ME』が全米ロック系ステーションでローテーション入りを果たす。
1991年
2月25日、9thアルバム『ON THE PROWL』をリリース。
4月25日、2ndミニアルバムLOUD'N'RAREをリリース。
9月25日、3rdミニアルバム『SLAP IN THE FACE』をリリース。
10月、マイクが脫退。
10月25日、ベストアルバム『LOUDEST』をリリース。
11月28日、ベストアルバム『LOUDEST Ballad Collection』をリリース。
1992年
1月、山下が脫退。替わりに元Xの沢田泰司と、ボーカルに元E?Z?Oの山田雅樹が加入(第3期LOUDNESS)。沢田はX在籍時(shí)に所屬していたソニーレコードとの契約上、1月31日までサポートメンバーとしてアルバムのレコーディングに參加した。
4月、沢田が正式に加入。
5月28日、ライブツアー『ONCE AND FOR ALL』をスタート(6月6日まで、4都市5公演)。
6月10日、10thアルバム『LOUDNESS』をリリース。オリコン初登場(chǎng)2位を記録。同時(shí)にライブツアー『Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE』をスタート(8月3日まで、10都市13公演)。
9月21日、ライブツアー『SLAUGHTAR HOUSE 2 ?POWER STORM?』をスタート((9月28日まで、2都市3公演)。
11月17日、ライブツアー『SLAUGHTAR HOUSE 2 ?LOVE NEVER DIES?』をスタート((1993年1月27日まで、18都市20公演)。
1993年
5月、山田が脫退の意を示す(後に撤回)。
11月、様々なトラブルにより沢田とリーダーの樋口が脫退。以降、復(fù)活後も高崎がリーダーになる。
12月、ファンクラブ「LOUDICT」閉會(huì)。
1994年
4月24日、第3期のライブを収録した3rdライブアルバム『ONCE AND FOR ALL』をリリース。
12月、ドラムに元E?Z?Oの本間大嗣が加入。正式メンバーのベースがおらず、高崎がギターと兼任する。
12月21日、11thアルバム『HEAVY METAL HIPPIES』リリース。
1995年
ベースに元ANTHEMの柴田直人が加入(第4期LOUDNESS)。
4月、全國(guó)ツアーを開始。
6月10日、第4期のライブを収録した4thライブアルバム『LOUD'N'RAW』をリリース。
1996年
7月、ベストアルバム『MASTERS OF LOUDNESS』をリリース。
1997年
Rooms RECORDSに移籍。
7月25日、「インド3部作(ブッダ?ロック)」の1作目に當(dāng)たる12thアルバム『GHETTO MACHINE』をリリース。
1998年
8月5日、「インド3部作」の2作目に當(dāng)たる13thアルバム『DRAGON』をリリース。
1999年
5月、イギリス?オランダ?ベルギー?ドイツのヨーロッパツアーを敢行。オランダでは毎年5萬人の観衆(zhòng)を動(dòng)員するフェスティバル『ダイナモ?オープン?エア』のメインステージに立つ。
7月、「インド3部作」の3作目に當(dāng)たる14thアルバム『ENGINE』をリリース。
2000年
5月、高崎がオリジナルラウドネスの復(fù)活を宣言(第5期LOUDNESS)。山田/本間/柴田が脫退し、樋口/山下/二井原が復(fù)帰。
再び日本コロムビアに移籍。
12月21日、第1期のライブを収録した収めた5thライブアルバム『EUROBOUNDS ?remastered?』をリリース。
2001年
3月7日、復(fù)活後、最初のアルバムである15thアルバム『SPIRITUAL CANOE ?輪廻転生?』をリリース。3部作までのモダンヘヴィネス的なサウンドではなく、往年のLOUDNESSサウンドを意識(shí)的に再現(xiàn)した作品となった。このアルバムに伴う全國(guó)ツアーも行われた。
5月23日、第1期のワーナーミュージック?ジャパン時(shí)代の曲を収録したベストアルバム『BEST OF LOUDNESS 8688 ATLANTIC YEARS』をリリース。
7月20日、第5期のライブを収録した6thライブアルバム『The SOLDIER's just came back LIVE BEST』をリリース。
11月21日、16thアルバム『PANDEMONIUM ?降臨幻術(shù)?』、自身のトリビュートアルバム『TRIBUTE TO LOUDNESS?Rock’n Roll Crazy Night』をリリース。
12月、第1期日本コロムビア時(shí)代のベストアルバム、『RE-MATERPIECES THE BEST OF LOUDNESS』をリリース。
2002年
徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍。
5月21日、第5期のライブを収録した7thライブアルバム『LOUDNESS LIVE 2002』をリリース。
9月4日、17thアルバム『BIOSPHERE』をリリース。
2003年
11月27日、自身のトリビュートアルバム『A Tribute To LOUDNESS』をリリース。
2004年
1月7日、18thアルバム『TERROR ?剝離?』をリリース。
1月31日、國(guó)內(nèi)インドアロック?フェスティバル『ソニックマニア 04』に參加(2月1日まで)。
8月13日、赤坂プリンスホテルにて、ヘヴィメタルバンドとしては異例のディナーショーを行う。
10月27日、リメイクアルバム『ROCK SHOCK』、第1期の日本コロムビア時(shí)代の5枚のアルバムのリマスター盤をリリース。
11月25日、19thアルバム『Racing/音速』をリリース。
2005年
3月23日、第1期の日本コロムビア時(shí)代の2枚のアルバムと高崎?樋口のソロアルバムのリマスター盤、およびの當(dāng)時(shí)のライブ映像のDVDをリリース。
4月6日、アルバム『Racing/音速』の英語(yǔ)版アルバム『Racing(English Version)』をリリース。本作をもって本格的に海外再進(jìn)出を目指す(同年9月26日にヨーロッパ全土で英語(yǔ)バージョンをリリース)。
7月、ドイツにて開催された野外フェスティバル『EARTHSHAKER FESTIVAL 2005』に出演。オリジナルラインナップとしては18年ぶりの歐州公演となる。
9月21日、第5期のベストアルバム『THE BEST OF REUNION』をリリース。
2006年
2月、高崎の1989年頃に盜まれたと思われていたギター(キラー?プライム)がネットオークションで出品される騒動(dòng)が発生。高崎とキラーギターズを巻き込んだこの騒動(dòng)は、結(jié)果的に盜まれたギターではなかったものの、出品者の「高崎晃本人から譲り受けた」とのコメントに高崎は自身のブログで「(他人に)好きなギターをプレゼントする程お人好しじゃない」と反論していた。
3月、アメリカでツアーを行う。
12月27日、アルバム『BREAKING THE TABOO』をリリース。
2007年
4月4日、コロムビアミュージックエンタテインメントより『LOUDNESS COMPLETE BOX』をリリース。
2008年
2月20日、アルバム『METAL MAD』をリリース。
4月14日、ドラマーの樋口宗孝が肝細(xì)胞癌治療のため休養(yǎng)。
4月、東名阪クラブクアトロツアーを行う。闘病中の樋口宗孝の代打として手?jǐn)?shù)王こと菅沼孝三が出演。
11月30日午前10時(shí)44分、半年以上の闘病の末、樋口宗孝が肝細(xì)胞癌のため入院先の大阪市內(nèi)の病院で死去。
12月24日東京?青山葬儀所にて樋口のファン葬を執(zhí)り行う。ファン、関係者、有名人合わせて1300人以上が參列した。[2]
2009年
2月14日、渋谷公會(huì)堂にて樋口宗孝追悼コンサートを行う。
2月16日、高崎のブログにて鈴木“アンパン”政行が樋口の後任ドラマーとして正式に加入することが発表される。[3]
5月27日、アルバム『THE EVERLASTING -魂宗久遠(yuǎn)-』をリリース。
發(fā)行時(shí)間:2024-01-15
發(fā)行時(shí)間:2023-12-25
發(fā)行時(shí)間:2023-12-16
發(fā)行時(shí)間:2023-12-16
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發(fā)行時(shí)間:2023-10-30
發(fā)行時(shí)間:2023-09-05
發(fā)行時(shí)間:2023-09-04
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